市川市
中山法華経寺
’4年3月17日(水)
晴れ
市川の友人からいい所があるのに何故来ないのかとのお叱りを受けたので今後東京に近い所にも出没します。中山法華経寺は日蓮上人にとっては最も重要な寺院の一つです。彼の息抜きをこの地の領主達が提供し、感化された彼らが教えを現代にまで伝える役割を果たしたという話です。
中山法華経寺
JR下総中山駅か京成中山駅から徒歩で行くことができる。千葉街道(国道14号)から寺院に行く参道が上の写真である。門前町としての雰囲気が残り、周辺には日蓮宗に関係する施設が多い。
山門(赤門)
京成駅前に総門があり参道を歩くと朱塗りの山門に至る。大正期に再建された雄大なもの。扁額は本阿弥光悦の筆。法華寺のスタートポイント。
右:日常上人の像
開基者の一人富木常忍が出家して日常と称す。

日蓮上人の像

祖師堂(重文) 元禄年間 屋根が二つの独特な様式。日蓮を祀る仏堂である。

五重塔(重文) 元和年間 本阿弥光室が親の菩提を弔うため建立。

奥の院(若宮館跡)
下総の守護千葉頼胤に仕えた若宮の領主富木常忍は鎌倉幕府と若宮間を往復した。布教に懸命な日蓮と出会い熱心な信者になった。日蓮は鎌倉の松葉ケ谷で襲われた後常忍を頼って来た。その時館内に法華堂を建て説法を聞いた。安房小松原の難の時も若宮に身を寄せた。日蓮の説法は前後百回にもなりここが「初転法輪の旧跡」の地になった。そのころ中山領主の太田乗明曽谷の教信も信者になった。弘安2年日蓮入滅後常忍は出家して「日常」と称し中山法華経寺の開祖になった。
日常上人の廟所

祖師堂正面より

富木氏の法華寺と太田氏の本妙寺が後で合体して法華経寺になった(天文年間)。初代は「日常」、ニ世は太田氏の子「日高」が継いだ。三世は千葉氏の「日祐」でこれ以降胤貞派千葉氏の氏寺として発展。

大仏 享保年間 江戸神田鍋町藤原氏の作

妙見堂

刹堂

法華堂(重文) 寺の本堂、5間堂 

四足門(重文) 室町後期 彫刻装飾多い

法華堂は元若宮の館から移したもの

聖教殿 (宝物館)

日蓮宗加行堂
インド様式の宝物館には国宝の「立正安国論」、「観心本尊妙」や日蓮直筆の仏典(重文)が多数保存されている。これは千葉氏の文筆官僚だった初代日常上人が整理保存に意をそそいで以来、伝統になっている。
左の加行所(修行所)清規
修行の規則が沢山ある。例えば1)伝師の命に服従すること 2)着物や食事の制限 3)読経と水行を怠るな 4)飲酒、喫煙の禁止 4)新聞、TV、通信、娯楽等の禁止 等々。
今の若者にこの修行できるのかなあ?時代が変わっても厳しさは変わらないようだ。

鬼子母神堂

遠寿院荒行堂
遠寿院
法華経寺周辺には関係する寺院が沢山存在している。ここもその一つである。日蓮から授かった教えを初代日常から代々伝えることが重要だった。10世の時一門から優良者を選んで伝えることになり日久上人が千日修行を成就した。彼が中興の師となり、ここが根本道場になった。全国に中山の荒行堂として知られている。

遠寿院
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