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筒森集落の先にもみじ谷の指標があった。
先に進むと地元の人何人かに会った。
聞くとやはり盛りは過ぎたようだ。
車を置いて歩き回ると写真のような光景が
あちこちに見られた。
このあたりは人手の入らない野性味ある
自然が楽しめます。 |
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渓流と白い崖と赤い紅葉。
この谷の典型的な風景です。
地図で見るとこの先に集落があるようです。
車が入らないような場所でよく
生活しているなあと感心してしまう。
川は夕木川で養老川の支流。 |
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こちらは川筋が違って小櫃川。
黄和田畑地区の七里渓谷で断崖道の
片側に駐車スペースがあって最盛期には
混雑する所。川に降りられる道が
付いていているので降りて写したもの。
川幅が広く水がゆったりと流れていた。 |
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吊橋があって対岸に渡る道が付いていた。
この辺一帯全て東大の演習林になっているようで
標識があり白いヘルメットを着けた何人かに会った。
橋の上に見えるのは観音堂であった。 |
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千石代地区にある白岩舘。温泉旅館兼食堂。
むぎとろセット1300円と表示があった。
81号線には温泉として他に黄和田畑近くの
七里川温泉、中間に清澄温泉があった。
清澄温泉は営業止めているようだ。
鉱泉は硫黄泉で入浴料金はどこも
大人500円である。
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白岩舘の先に白岩橋があってここからの
景観がすばらしい。
奥清澄で最も美しいのがここ白岩渓谷である。
白い崖と紅葉と小櫃川の流れ。
皆橋の上に駐車して写真を撮るのに
余念がなかった。 |
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四方木地区に入った所に売店が開いていて
採れたてのものを売っていた。
こんにゃくはここで伝統的な作り方を続けているという。こんにゃく、椎茸とゆずを買う。
その他炭など特産物を売る店2〜3あり。 |
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清澄の上の駐車場に到着。下を見ると
このように太平洋と鴨川辺の街並みが
冬の光に浮かび上がっていた。 |
千光山清澄寺の門。両側には仁王様が 阿吽の姿で鎮座している。
団体客もいて賑やかだった。
しかしこの前にあるみやげもの
店までは埋まっていなかった。 |
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門を入った受付の所。正面には本堂。 右手に鐘楼、左手には祖師堂があります。
ここの梵鐘明徳年間の作(1392)。 |
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清澄の大杉。千年杉の霊木。高さ47m、
太さ目通り15m。大正13年、国の
天然記念物に指定された。
昭和29年の台風で
大枝が欠け、昨年も大雪で枝がやられた。
この地は海から近く山頂にあるので
自然災害、雨や風雪が猛威を奮う。 |
旭ケ森に立っている日蓮聖人の銅像
(大正12年建立)。
日蓮は12歳でこの寺に入って修行を始めた
(1233)。
その場所はこの下で練行場と称し井戸や復旧した建物がある。
道善法師が指導し出家、会得した。
夏は諸国に出て各宗の奥義を学び32歳の時
ここで立教開宗の第一声を出した(1252)。
この地は又初日の出日本一早い所でもある。 |
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目の前にあるのがインド風なパゴタ。
日本山妙法寺、清澄山道場である。
下の方から修行中の太鼓の音が
聞こえていた。
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本堂。771年天台宗として開基。
平安時代には僧坊12を持つ房総一の大寺。
本尊は虚空菩薩。江戸時代には真言宗に改宗した。
寺はその後明治になると廃仏運動と台風で衰退してしまった。日蓮宗に変えて復興したのは戦後の昭和24年のことであってここの長い歴史から見ればつい昨日の事である。
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宝物館に行く所に中門がある(県有文)。
屋根に見える御紋章の菊花。家康の時
真言宗に改宗し格式十万石、朱印五百石
の本山格の寺になった。京都醍醐三宝院の
別院となってこの紋章を許された。
門は江戸時代初期の作。 |
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このクスの木は宝物館の横にあって地元の
人達は千年杉より風格があって好きだという。
樹齢は450年との事。 |
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